「海の熊野」から「山の熊野」へ/桐村英一郎

「海の熊野」から「山の熊野」へ

桐村英一郎(『木地屋幻想』著者)

私が今暮らしているのは三重県熊野市波田須町というところです。秦の始皇帝の時代、不老不死の仙薬を求めると船出した徐福がそこに上陸した、という伝承が伝わっています。コンビニすらない鄙の地で、熊野灘を見下ろす傾斜地に建つ借家での夫婦二人の生活も、かれこれ10年になります。
これまでささやかに出してきた本にはテーマがあります。「黒潮のロマン」と「古代の熊野」です。
黒潮は南方から日本列島へ、文化、技術、作物、神話・伝承、そして私たちの祖先を運んできた「不眠不休のベルトコンベア」といえましょう。沿岸に暮らす人々は、その彼方に理想の異郷「常世」を観想し、そこから「善きもの、貴きもの」がやってくると信じました。私は黒潮に惹かれて熊野にやってきたと自分にいい聞かせ、その古代に思いをはせて『イザナミの王国 熊野』『熊野からケルトの島へ アイルランド・スコットランド』『祈りの原風景 熊野の無社殿神社と自然信仰』などを世に問うてきました。
最近の拙著はこれまでとやや性格を異にします。それは「古代を離れ」「山に立ち入った」こと。2019年秋に上梓した『一遍上人と熊野本宮』は、初めて熊野の中世を覗き、一遍が山中の本宮大社で悟りを開いた背景を自分なりに描いた作品です。
熊野には「海の熊野」と「山の熊野」があるといわれます。前者は太平洋に面し、沖を黒潮が洗うこの地が生んだ歴史や民俗であり、私はもっぱらその探究を楽しんでまいりました。一方「山の熊野」は紀伊半島の中央部に横たわる「果無(はてなし)山脈」の名の通り、山また山の世界に繰り広げられた物語です。
今回の『木地屋幻想 紀伊の森の漂泊民』は、中世から近世へとさらに歴史を今に近づけ、深山で暮らした漂泊の民である木地屋(木地師)に焦点をあてた、私としては新たな試みなのです。なぜそうなったのか。拙著の「あとがき」に触れましたので、その部分をご紹介しましょう。

定年後は生まれ育った東京を離れ、関西で古代史に挑戦しよう。
そう決めて、奈良県明日香村に六年、三重県熊野市で九年余り暮らし、物書きをしてきた。これまで念頭に置き、ときに謎解きに迫ったのは、もっぱらこの国の古代だった。
木地屋は違う。彼らが紀伊・熊野の山中で活躍したのは主に江戸時代である。それは近江の小椋谷から各地を回った氏子狩、氏子駈の記録からわかる。なぜ私の関心が古代から一気に近世に飛んだのか。背中を押してくれたのは熊野市歴史民俗資料館の更屋好年館長だった。
二〇一九年二月半ばのこと。彼から私と、当地で長年お付き合いいただいている向井弘晏氏に「木地師展をやりたいのだが、協力してくれないか」との誘いがあった。私は二つ返事で引き受けた。木地屋に興味があったからである。

明日香村に借家して一年ほど経った二〇〇六年四月から、私は朝日新聞奈良版に「大和の鎮魂歌」と題する週一回の連載を四十四回続けた。(中略)その中で木地屋が祖神と仰ぐ惟喬親王を取り上げた。

飛鳥から熊野に向かう道中の奈良県川上村の高原集落には「惟喬親王はここに隠棲され、ここで亡くなった」という伝承があり、気の毒な親王を慰める法悦祭がお盆に行われてきた。祭りの「神主」になると日常生活の禁忌も厳しく、私が話を聞いた当時も「肉は食べない」「葬式にも出ない」などが守られていた。高原集落は海抜六百メートル近い山里だ。木地屋たちがその辺りで暮らし、惟喬伝承を残したのだろう。
惟喬親王と木地屋集団を知るため、東近江市の君ケ畑を訪ねて小椋昭二氏に会った。蛭谷の木地師資料館も見学した。この本の冒頭に書いた通りだ。「木の国」紀伊・熊野には木地屋の足跡、言い伝えがあちこちに残っているはずだ。それを追ってみたい。私の中の「記者」が頭をもたげ、更屋氏に即答した。

年号が平成から令和にかわった二〇一九年十月八日から十三日まで、JR熊野市駅前の文化交流センターで「木地師 その伝統としごと」展が開かれ、最終日に私が「木地屋 紀伊の森の漂泊民」という題で話をした。台風が通り過ぎた翌日だったが百人もの人が聴きに来てくれた。このギャラリー・トークの前後、あちこちを取材し、『熊野新聞』に九月十八日付から十二月二十九日付まで十六回連載したものが本書だ。今回出版にあたって一部書き足したほか、「黒江は今」を加えた。

本書では、私の念願や人との偶然の触れ合いが大きな役割を果たしたくれました。
紀伊熊野の山を知り尽くし、その暮らしを瑞々しく描いてこられた作家宇江敏勝さんに、あるテーマでじっくり話をうかがいたいと願ってきました。木地屋を追いかけているうちに「どうしても宇江さんに会いたい」という思いが募り、田辺市中辺路町のお宅に押しかけました。これは「大当たり」、会心のインタビューでした。
人とのふれあいの大切さを実感したのは、たとえば幕末の成功者小椋長兵衛の末裔である小倉章睦さんを知ったこと、そして彼を愛知県津島市に訪ねる前日に、小椋長兵衛が身代を築いた「池の宿(現在・三重県熊野市飛鳥町)」に詳しい大江一春さんにお会いしたことです。熊野市歴史民俗資料館で更屋さんと話していて、彼が別件でこれから大江宅に行くと聞き「ぜひ連れて行って」と頼みました。大江さんとの出会いが何をもたらしてくれたか。それは拙著でご覧ください。

木地屋幻想──紀伊の森の漂泊民

桐村英一郎 著

2020年6月2日

定価 2,000円+税

鷗外文学の生成と変容──心理学的近代の脱構築

鷗外文学の生成と変容 心理学的近代の脱構築

新井正人 著

定価:本体5,400円+税

2020年6月18日刊
A5判上製 / 320頁
ISBN:978-4-909544-09-4


学知と小説
森鷗外にとって小説とは、現実の模写にとどまることなく、理想的な人間像や世界観を提示すべきものだった。
当時最新の心理学・哲学・精神病理学などの学知を受容していた鷗外は、それをどのように小説表現に昇華させ、リアリズムを乗り越えようとしたのか。
学術書への自筆書き込みを仔細に検証し、鷗外の文学的営為を跡づける。


目次
序章 「小説を作るべき方便」としての「心理的観察」→公開中
Ⅰ 心理的リアリズムとしての近代文学
Ⅱ 近代心理学と近代文学の等質性
Ⅲ 初期鷗外の文学観
Ⅳ 鷗外文学の多形性

第一章 小説表現の学的構築 ─鷗外と心理主義─
Ⅰ 心理主義的時代思潮の影響
Ⅱ 帰納的形而上学への夢
Ⅲ 科学的心理学の受容
Ⅳ 人間心理の言語的構築

第二章 Seeleをめぐる論理 ─心身問題と鷗外─
Ⅰ 性質二元論の受容
Ⅱ 「主物」と「主心」の「併行」
Ⅲ 科学的心理学と心身問題
Ⅳ 「魂と肉体」の文学

第三章 構成的外部への理路 ─鷗外と識閾下─
Ⅰ 芸術創作理論と識閾下
Ⅱ 識閾下をめぐる学知
Ⅲ 表現戦略としての識閾下
Ⅳ 主体の構成的外部

第四章 「混沌」のもつ力 ─鷗外と教育思想─
Ⅰ 利他的行為の存立要件
Ⅱ 「選択の自由」としての自由意志
Ⅲ ヘルバルト教育学の受容
Ⅳ 「混沌」としての主体
Ⅴ 「将来ノ教育」の模索

第五章 “Vita sexualis”という言説装置 ─鷗外におけるクラフト=エビング受容─
Ⅰ 『性的精神病質』の日本への移入と鷗外
Ⅱ クラフト=エビング受容の様相
Ⅲ 「ヰタ・セクスアリス」の生成
Ⅳ 「告白」の不可能性

第六章 表象心理学と物語行為 ─鷗外文学の構築方略─
Ⅰ 表象心理学の枠組み
Ⅱ 心理の因果的構成
Ⅲ 「雁と云ふ物語」と心理描写
Ⅳ 「雁」の表現戦略
Ⅴ 「物語のモラル」、そして史伝へ
Ⅵ 近代の脱構築─おわりに─

初出一覧
あとがき

資料① G・A・リントナー『経験的心理学教本』受容の様相
資料② O・キュルペ『哲学入門』・『心理学概論』受容の様相

索引→公開中
人名索引
著作名索引
事項索引


著者
新井正人(あらい・まさと)

1986年、埼玉県生まれ。
2005年、埼玉県立川越高等学校卒業。
2009年、慶應義塾大学文学部卒業。
2017年、慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。
博士(文学)。
現在、早稲田中学校・高等学校国語科教諭。
専門は、日本近代文学・国語教育。
主な論文に、「「肖像画家」に託された戦略─三島由紀夫「貴顕」における「芸術対人生」の問題系─」(『昭和文学研究』67集、2013年9月)などがある。

書評・紹介

  • 2020-10-31「図書新聞」
    評者:小澤純
  • 2021-01「日本文学」
    評者:酒井敏

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

『木地屋幻想』から「まえがき」+第一話を無料公開!

2020年6月刊行の『木地屋幻想』から「まえがき」+第一話をPDFで公開いたします。

「まえがき」+第一話

滋賀県東近江市の小椋谷は木地屋の発祥の地とされ、木地屋の「心のふるさと」とも言われています。
それは、惟喬親王が小椋谷の村人にロクロ技術を伝えたのが木地師のはじまりと伝えられるからです。
小椋谷を起点に、木地屋は良材を求めて漂白し、各地にその足跡を残し、文化や技術を広めました。
しかし近世には小椋谷には職人としての木地屋はおらず、木地屋の総元締めとして「氏子狩」と称し、木地屋を訪ね各地を回り、氏子料や初穂料のほか様々な費用を徴収していました。

なぜそんな都合の良いことが可能だったのか?
この「氏子狩」のシステムは各地の木地屋に何をもたらしたのか?

ぜひ第一話を御覧ください。

木地屋幻想──紀伊の森の漂泊民

桐村英一郎 著

2020年6月2日

定価 2,000円+税

『琉球王国は誰がつくったのか』から「結びにかえて」を無料公開!

2020年1月刊行の『琉球王国は誰がつくったのか』から「結びにかえて」をPDFで公開いたします。

「結びにかえて」

本書で論じた内容を4ページで凝縮して振り返っています。

琉球王国は誰がつくったのか──倭寇と交易の時代

吉成直樹 著

2020年1月27日

定価 3,200円+税

木地屋幻想──紀伊の森の漂泊民

木地屋幻想 紀伊の森の漂泊民

桐村英一郎 著

定価:本体2,000円+税

2020年6月2日刊
四六判上製 / 168頁
ISBN:978-4-909544-08-7


山中に消えた漂泊民
ロクロを発明したとされる惟喬親王を祖とし、天皇の綸旨(命令書)を携え、いにしえより山中を漂泊しながら椀や盆を作った木地屋たち。
トチ、ケヤキ、ミズメ、ブナなどの良木を求め、山々を渡り歩くその姿は、近代の訪れとともに消えてしまった。
木の国・熊野の深い森にかすかに残された足跡、言い伝えをたどり、数少ない資料をたぐり、木地屋の幻影を追う。


目次
まえがき→公開中(第一話も含まれています)

第一話 小椋谷再訪──木地屋の心のふるさと
第二話 大皇神社──小倉姓で固める
第三話 ハナシの話──山を降り川辺に住む
第四話 移動の痕跡──近隣に同じ名を追う
第五話 先祖への想い──一族の墓を集めて祀る
第六話 十津川の「政所」──小辺路が通る山里で
第七話 俗説の真偽──山への視線
第八話 菊の紋章──決めつけは危ない
第九話 「善吉サイ」の墓──古座の奥山に生きた一族
第十話 『紀伊続風土記』は語る──旧牟婁郡の伝承
第十一話 各地の足跡──立派な位牌残し消える
第十二話 宇江氏インタビュー──失われたものへの哀惜
第十三話 黒江は今──「木地屋」があった

あとがき


著者
桐村英一郎(きりむら・えいいちろう)

1944年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。朝日新聞社入社後、ロンドン駐在、大阪本社、東京本社経済部長、論説副主幹などを務めた。2004年11月末の定年後、奈良県明日香村に移り住み、神戸大学客員教授として国際情勢、時事英語などを教える傍ら古代史を探究。2010年10月から三重県熊野市波田須町に住んでいる。三重県立熊野古道センター理事。
著書は『もうひとつの明日香』『大和の鎮魂歌』『ヤマト王権幻視行』『熊野鬼伝説』『イザナミの王国 熊野』『古代の禁じられた恋』『熊野からケルトの島へ──アイルランド・スコットランド』『祈りの原風景──熊野の無社殿神社と自然信仰』『熊野から海神の宮へ』『一遍上人と熊野本宮』。共著に『昭和経済六〇年』がある。

書評・紹介

  • 2020-05-31「吉野熊野新聞」
  • 2020-06-03「熊野新聞」

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

沖縄芸能への思いと眼差し/久万田晋

沖縄芸能への思いと眼差し

久万田晋(『沖縄芸能のダイナミズム──創造・表象・越境』編者)

2019年10月31日未明、首里と那覇のちょうど中間に住む私は、サイレンをけたたましく鳴り響かせながら次々と首里方面に向かう消防車の音で目を覚まされた。いったい何事か、とインターネットをチェックすると、ネット上には次々と首里城が炎上する写真や映像がアップされ、沖縄中が騒然となっていた。首里城が火災だと? ありえない! その後テレビ放送でも臨時ニュースが続々と放映されて全国を駆け巡った。明るくなってから私は首里城の間近にある大学に出勤し、いまだ火炎と黒煙を上げ続ける首里城を呆然と見つめていた。

私は1990年代初頭から沖縄に暮らし始め、首里城が再建される様子を間近から見てきた。当時の沖縄では首里城の再建をきっかけとして、映画、テレビ、音楽、出版、観光など様々な分野で琉球王国ブームがわき起こった。
首里城の再建も、最初はすべての沖縄県民から賛同されたというわけではなかった。首里城は、琉球国時代を通じて宮古や八重山や他の島々を過酷な人頭税によって搾取し続けた首里王府の悪しき象徴だという意見もあった。また首里城は、地方に暮らす多くの庶民にとって生活と結びつかないただの飾り物だという首里城ハリボテ論も唱えられた。しかし1992年の再建から30年近くの年月を重ね、多くの国家的・全県的式典や行事の場として繰り返し使用されることで、次第に沖縄の人々の心のシンボルとして定着してきたように思われる。
その間、首里城には様々な思いが重ねられてきた。幾度もの世替わりと戦火を被った沖縄の苦難の歴史の刻印として首里城を見る人々の思い、日本有数の観光地沖縄の象徴としての首里城に注がれる日本全国からの眼差し、世界遺産に登録された琉球王国遺跡群の代表としての首里城に注がれる世界各国からの関心。1992年に再建された首里城には、こうした多様な意味付けが重ね合わされてきたのだ。今後、首里城を再々建する計画が進められてゆくことだろうが、このように首里城が担ってきた様々な思いや眼差しを尊重して進められることを願っている。

ここまで長々と、本書とは関係のない首里城の話をしてしまった。本論集は、沖縄に関わる音楽芸能の様々な領域について、若手中堅の研究者たちが各々の問題意識に基づいて自由に執筆した論文を集めたものである。しかし収められた諸論考には、次のような問題意識が共通している。音楽・芸能における伝統というものは必ずその背後にひそむ制度や権力装置があり、それはある時代や社会において持続的な支配力を及ぼす。また一方で、この制度や権力装置は時代や社会的状況の変化に伴って(時には劇的に)変化するのである。音楽・芸能は、見た目は強固な伝統を保持しているようでも、それがおかれた時代的、社会的状況によって揺れ動き、変化せざるをえない。本論集の各論は、沖縄の音楽・芸能のこうした変容に注目すると同時に、その背後にある制度や権力装置のはたらきや変化に注目した論考なのである。
琉球国における国家的行事として遂行された冊封儀礼の核としての組踊を上演する論理と多様なあり方。また王都首里からの文化的影響を受容しつつも、島々独自の民俗行事の中で醸成された祝宴と芸能の豊かな姿。昭和前期に日本で始まったラジオ放送の番組をきっかけとして、その後も長らくマスメディアにおいて支配的となる琉球・沖縄イメージの創出プロセス。戦後沖縄社会にはじまる古典芸能コンクールにおいて「型の統一」という形で制度化された芸能様式と、日本の文化財行政との統合によって硬直化されるジェンダーの問題。また民俗芸能エイサーがコンクールという場での評価を通じて沖縄各地に新たに伝播してゆく現象。近代以降沖縄で推進された海外移民による人の移動に伴って伝播された沖縄芸能と、さらに当地で新たに創出される芸能。またそうした人間の移動に伴う越境的ネットワークを通じてやり取りされる楽器「三線」が生み出す象徴的価値。
最初の首里城の話題に重ねると、各論者が対象とした音楽・芸能には、各々の時代を通じて多くの思いが重ね合わされている。またその音楽芸能には、様々な地域や立場からの多様な眼差しも注がれている。沖縄の音楽・芸能に重ねられてきた多重かつ多様な思いや眼差しを、ていねいにひも解く試みとして本書をお読みいただければ幸いである。

沖縄芸能のダイナミズム──創造・表象・越境

久万田晋・三島わかな 編

2020年4月15日

定価 2,800円+税