井上靖の原郷──伏流する民俗世界

井上靖の原郷新刊
伏流する民俗世界

野本寛一 著

定価:本体2,500円+税

2021年1月29日刊
四六判上製 / 224頁
ISBN:978-4-909544-15-5


「ここで私という人間の根柢になるものはすべて作られた」
長じて稀代のストーリーテラーと呼ばれることになる作家は、郷里・伊豆の風土から何を承けとったのか?
「自伝風小説」を中心とした精緻な読みと、長年にわたるフィールドワークの成果から、作家の深奥に伏流する民俗世界を立体的に浮かび上がらせる。


目次
旅のはじめに

Ⅰ 井上靖の原郷──伏流する民俗世界
第一章 生きものへの眼ざし
第二章 植物との相渉
第三章 食の民俗
第四章 天城山北麓の冬
第五章 隣ムラ・長野へ
第六章 籠りの力
第七章 始原世界への感応
第八章 馬
第九章 狩野川──河川探索の水源

Ⅱ 井上靖の射光──ある読者の受容

追い書き
井上靖 作品名・書名索引→公開中


著者
野本寛一(のもと・かんいち)

1937年 静岡県に生まれる
1959年 國學院大學文学部卒業
1988年 文学博士(筑波大学)
2015年 文化功労者
2017年 瑞宝重光章

専攻──日本民俗学
現在──近畿大学名誉教授

著書──
『焼畑民俗文化論』『稲作民俗文化論』『四万十川民俗誌──人と自然と』(以上、雄山閣)、『生態民俗学序説』『海岸環境民俗論』『軒端の民俗学』『庶民列伝──民俗の心をもとめて』(以上、白水社)、『熊野山海民俗考』『言霊の民俗──口誦と歌唱のあいだ』(以上、人文書院)、『近代文学とフォークロア』(白地社)、『山地母源論1・日向山峡のムラから』『山地母源論2・マスの溯上を追って』『「個人誌」と民俗学』『牛馬民俗誌』『民俗誌・海山の間』(以上、「野本寛一著作集Ⅰ~Ⅴ」、岩田書院)、『栃と餅──食の民俗構造を探る』『地霊の復権──自然と結ぶ民俗をさぐる』(以上、岩波書店)、『大井川──その風土と文化』『自然と共に生きる作法──水窪からの発信』(以上、静岡新聞社)、『生きもの民俗誌』『採集民俗論』(以上、昭和堂)、『自然災害と民俗』(森話社)、『季節の民俗誌』(玉川大学出版部)、『近代の記憶──民俗の変容と消滅』(七月社)、『民俗誌・女の一生──母性の力』(文春新書)、『神と自然の景観論──信仰環境を読む』『生態と民俗──人と動植物の相渉譜』(以上、講談社学術文庫)、『食の民俗事典』(編著、柊風舎)、『日本の心を伝える年中行事事典』(編著、岩崎書店)ほか

書評・紹介

  • 2021-04-24「信濃毎日新聞」

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

    「くだらない」文化を考える──ネットカルチャーの社会学

    「くだらない」文化を考える
    ネットカルチャーの社会学

    平井智尚 著

    定価:本体2,300円+税

    2021年1月26日刊
    四六判並製 / 320頁
    ISBN:978-4-909544-14-8


    インターネットと草の根文化
    炎上、祭り、ネットスラング、アスキーアート、オフ会、MMD、MAD……。
    「2ちゃんねる圏」を舞台にネットユーザーが生み出した「くだらない」「取るに足らない」文化は、それゆえに論じられないままでよいのか。
    SNS全盛の現代、オワコンといわれる「2ちゃんねる圏」の文化に、社会学の知見を用いて大まじめに切り込む、ネットカルチャー論。


    目次
    序論

    第一章 ネットカルチャー研究の発展に向けて──ポピュラー文化と参加文化の視点から
    はじめに/一 日本社会を文脈とするネットカルチャーの歴史/二 電子掲示板2ちゃんねるに関する研究/三 ネットカルチャー研究の停滞/四 ネットカルチャー研究の発展を図るための視点/おわりに

    第二章 インターネット上のニュースとアマチュアによる草の根的な活動
    はじめに/一 インターネット上のニュースをめぐる草の根的な活動の歴史/二 アマチュアによる草の根的な活動を研究することの困難/三 ポピュラー文化とニュース/四 アマチュアによる草の根的な活動と社会問題の接点/おわりに

    第三章 インターネットを通じて可視化されるテレビ・オーディエンスの活動──公共性への回路
    はじめに/一 オーディエンスと不可視のフィクション/二 インターネットを通じて可視化されるオーディエンス/三 2ちゃんねるの圏域に見られるテレビ・オーディエンス/四 インターネットを通じたテレビ・オーディエンスの活動に見る既視感/五 インターネット上のテレビ・オーディエンスの活動に見る公共性/おわりに

    第四章 インターネット上のアマチュア動画に見られる「カルト動画」
    はじめに/一 インターネットにおけるアマチュア動画の歴史/二 インターネット上のアマチュア動画に関する研究の展開と枠組みの検討/三 言及がはばかられるインターネット上のアマチュア動画/四 カルトとしてのアマチュア動画/おわりに

    第五章 オンライン・コミュニティの多様化と文化現象──「下位文化理論」を手がかりとして
    はじめに/一 コンピュータ・ネットワークを介した人々の集まりと「コミュニティ」/二 オンライン・コミュニティ論の停滞/三 多様なオンライン・コミュニティの共存と成員間の相互作用/四 オンライン・コミュニティの多様化とインターネット空間の「都市化」/五 オンライン・コミュニティ成員間の相互作用と文化/おわりに

    第六章 インターネットにおける炎上の発生と文化的な衝突
    はじめに/一 インターネットにおける炎上の歴史/二 フレーミングと炎上の違い/三 炎上が起こる理由/四 下位文化理論から見る炎上/おわりに

    第七章 ネットスラングの広がりと意味の変容──「リア充」を事例として
    はじめに/一 コンピュータ・ネットワークを介した人々のやりとりとスラング/二 日本社会を文脈とするネットスラング/三 インターネット空間におけるコンテンツの拡散/四 「リア充」というネットスラングの広がり/五 ネットスラングの広がりとサブカルチャー/おわりに

    第八章 ネットユーザーによるコンテンツへの関与をめぐる批判的考察──2ちゃんねるのまとめサイト騒動を事例として
    はじめに/一 ソーシャルメディアの普及とネットユーザーによるコンテンツへの関与/二 ソーシャルメディアのプラットフォームが生み出す利益や報酬/三 金銭的報酬の獲得を企図したコンテンツ流用とネットユーザーの反発/四 「名づけ」としての「ステマ」や「アフィ」/おわりに

    第九章 インターネット空間における「ネタ」の意味──「遊び」の研究を手がかりとして
    はじめに/一2ちゃんねるにおけるやりとりと「ネタ」/二 ソーシャルメディアの普及に伴う「ネタ」の変容/三 「ネタ」と「遊び」/四 「ネタ」の位置づけとその変容/五 インターネット空間における「ネタ」の意味/おわりに

    終章 ネットカルチャー研究の課題

    参考文献
    初出一覧
    あとがき
    索引→公開中


    著者
    平井智尚(ひらい・ともひさ)

    1980年 新潟県生まれ
    2003年 日本大学法学部新聞学科卒業
    2009年 慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻後期博士課程単位取得退学
    現在 日本大学法学部新聞学科専任講師
    主著
    『ニュース空間の社会学──不安と危機をめぐる現代メディア論』(共著、世界思想社、2015年)、『戦後日本のメディアと原子力問題』(共著、ミネルヴァ書房、2017年)、ニック・クドリー『メディア・社会・世界──デジタルメディアと社会理論』(共訳、慶應義塾大学出版会、2018年)

    書評・紹介

      ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

      『宮沢賢治論 心象の大地へ』から「第二十章 大地の設計者 宮沢賢治 温泉を中心に」を無料公開!

      2020年12月刊行の『宮沢賢治論 心象の大地へ』から「第二十章 大地の設計者 宮沢賢治 温泉を中心に」をPDFで公開いたします。
      一般の方に向けた講演録を加筆修正した、よみやすい章です。

      「第二十章 大地の設計者 宮沢賢治 温泉を中心に」

      宮沢賢治論 心象の大地へ

      岡村民夫 著

      2020年12月28日

      定価 3,200円+税

      宮沢賢治論 心象の大地へ

      宮沢賢治論 心象の大地へ新刊

      岡村民夫 著

      定価:本体3,200円+税

      2020年12月28日刊
      四六判並製 / 512頁
      ISBN:978-4-909544-13-1


      著者25年の賢治論集成
      宮沢賢治賞受賞!

      「虹や月明かり」からもらった膨大な「心象スケッチ」は、繋がり、重なり、変容し、不整合なまま、やがて〈心象の大地〉として積み上がる。
      テクストにはらまれる矛盾や齟齬をこそ賢治文学のリアルと捉え、その正体を求めてイーハトーブを踏査し続けた、著者25年の集大成。


      目次

      Ⅰ 初期作品考──心象の時間
      第一章 「水仙月の四日」考 斜行する交換系
      第二章 「かしはばやしの夜」考 喧嘩から心象スケッチャーたちの祝祭へ
      第三章 「鹿踊りのはじまり」考 終わりのはじまりについて
      第四章 踊る文字「蠕虫舞手」について

      Ⅱ 距たりと生成
      第五章 賢治的食物
      第六章 大いなる反復者
      第七章 宮沢賢治における「動物への生成変化」

      Ⅲ 宮沢賢治と……
      第八章 映画の子、宮沢賢治
      第九章 宮沢賢治と活動写真
      第十章 島耕二は宮沢賢治からなにを受け取ったか
      第十一章 宮沢賢治と『遠野物語』(講演)
      第十二章 詩人黄瀛の光栄 書簡性と多言語性
      第十三章 詩人黄瀛の再評価 日本語文学のために

      Ⅳ 少年小説考──メタ心象スケッチと未来の大地
      第十四章 「風の又三郎」論 心象を問う少年小説
      第十五章 宮沢賢治の〈郊外の夢〉 「ポラーノの広場」論(一)
      第十六章 転位する広場 「ポラーノの広場」論(二)

      Ⅴ イーハトーブのフィールドワーク
      第十七章 昭和二年、光の花園
      第十八章 宮沢賢治と庭園
      第十九章 『岩手医事』と宮沢賢治
      第二十章 大地の設計者 宮沢賢治 温泉を中心に(講演)→公開中
      第二十一章 イーハトーブ地理学

      初出一覧


      著者
      岡村民夫(おかむら・たみお)

      1961年、横浜に生まれる。立教大学大学院文学研究科単位取得満期退学。法政大学国際文化学部教授。表象文化論、場所論。
      著書に『旅するニーチェ リゾートの哲学』(白水社、2004年)、『イーハトーブ温泉学』(みすず書房、2008年)、『柳田国男のスイス──渡欧体験と一国民俗学』(森話社、2013年)、『立原道造──故郷を建てる詩人』(水声社、2018年)など。訳書にマルグリット・デュラス『デュラス、映画を語る』(みすず書房、2003年)、ジル・ドゥルーズ『シネマ2*時間イメージ』(共訳、法政大学出版局、2006年)など。
      宮沢賢治学会イーハトーブセンター副代表理事、四季派学会理事、表象文化論学会会員、日本エスペラント協会会員。

      書評・紹介

      ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

      井上靖とシルクロード

      井上靖とシルクロード西域物の誕生と展開

      劉 東波 著

      定価:本体5,400円+税

      2020年12月24日刊
      A5判上製 / 320頁
      ISBN:978-4-909544-12-4


      史実のすきま 想像力のはばたき
      人々にシルクロードのロマンを届けた井上靖。足を踏み入れたことのなかった西域を、作家はどう描いたのか。典拠と作品の比較から、史実と想像力がせめぎあう歴史小説の秘密に迫る。
      宮澤賢治と松岡譲の西域物もあわせて論じる。


      目次
      序章 総論
      一 敦煌ブームと日本近代文学
      二 本書の構成

      Ⅰ 井上靖の西域物の誕生

      第一章 西域物の源泉──「漆胡樽」
      一 詩から小説へ
      二 井上靖が参照した「漢籍」
      三 小説「漆胡樽」における虚構
      四 「漆胡樽」から他の西域物へ

      第二章 対の器物から生まれた作品──「玉碗記」
      一 事実に支えられている作品
      二 作品における対構造

      第三章 西域で活躍した人物──「異域の人」の班超
      一 初期の西域物
      二 典拠との比較
      三 班超の生きる意味

      Ⅱ 井上靖の西域物の発展と変遷

      第四章 「楼蘭」と『敦煌』
      一 「楼蘭」におけるロブ湖
      二 『敦煌』の創作と方法
      三 『敦煌』における人物像

      第五章 西域の水・河(川)を描く作品──「洪水」
      一 井上靖と河(川)
      二 「洪水」典拠の再検討
      三 「洪水」における疑問点
      四 西域経営と自然破壊

      第六章 史実に即した作品──後期の西域物
      一 「崑崙の玉」の典拠と方法
      二 「崑崙の玉」──対の夢追い物語
      三 「僧伽羅国縁起」と「羅刹女国」

      Ⅲ 日本近代文学における西域物

      第七章 宮澤賢治の西域物
      一 宮澤賢治の西域物とは
      二 宮澤賢治と島地大等
      三 宮澤賢治と近代中央アジア探検

      第八章 松岡譲の西域物
      一 忘れられた作家
      二 『敦煌物語』の成立と方法
      三 大谷探検隊から大谷ミッションへ

      終章 まとめと今後の課題

      Ⅳ 付録

      付録① 「異域の人」作品本文と典拠の比較
      付録② 『敦煌』参考文献一覧
      付録③ 井上靖西域関連著作一覧
      付録④ 井上靖水・河(川)関連著作一覧
      付録⑤ 「崑崙の玉」初出稿と改訂稿の比較
      付録⑥ 宮澤賢治西域関連著作一覧
      付録⑦ 松岡譲仏教関連著作一覧
      付録⑧ 半藤末利子氏インタビュー──父・松岡譲の作家生涯について
      付録⑨ 長岡市郷土史料館所蔵松岡譲資料一覧
      付録⑩ 『敦煌物語』典拠資料一覧

      初出一覧
      あとがき
      索引→公開中


      著者
      劉 東波(リュウ・トウハ)

      1989年、中国甘粛省生まれ。2019年に新潟大学博士後期課程修了、博士号(文学)取得。国際日本文化研究センター共同研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)、新潟大学博士研究員を経て、現在は南京大学外国語学院の助理研究員。

      書評・紹介

      ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

      行商と軽便/山本志乃

      行商と軽便

      山本志乃(『「小さな鉄道」の記憶』プロジェクト代表)

      地方へ民俗採訪に出かけると、軽便鉄道の痕跡に出会うことがしばしばある。とりわけ私が訪ね歩くのは、魚介類や農産物などを担い売る行商人の女性たちなので、そうした人たちにとって、かつて全国各地に展開していた小規模な鉄道は、欠くべからざる移動手段であった。

      なかでも印象に残っているのは、鳥取県中部の泊という漁村から、20キロほど先の倉吉まで、汽車を乗り継ぎ魚を売りに行っていた伊藤増子さんだ。この地方では、行商人のことをアキンドさんと呼ぶ。大正14(1925)年生まれの増子さんは、40歳くらいのときから魚のアキンドを始めた。私が出会った平成24(2012)年には、すでに商売をやめて久しく、アキンドの重い荷で痛めてしまった腰をいたわりながら、漁師だったご主人と二人、静かに暮らしておられた。最初のうちは、こちらの意図をつかみかねたのか、言葉少なに素っ気ないふうであったが、二度三度と足を運ぶうち、訥々と、しかし生き生きと、アキンドをしていたころの体験を話してくれるようになった。行商の体験者は、概して記憶が鮮明で、こちらの問いかけに対する反応も早い。仕入れから販売まで、暗算を武器に世間を渡ってきたわけだから、頭の回転が速いのである。

      増子さんの話には、特有のリズムがある。お客さんや市場の人、同業者たちとの会話を、そのまま再現するように話してくれる。おかげで、当時の情景がまざまざと目に浮かび、聞いているだけも楽しい。おそらく増子さんは私の反応から、どんな話を聞きたがっているのか、何を望んでいるのか、敏感に察したうえで話をしてくれていたのだろう。常連客との関係を大切にするアキンドは、お客さんと交わす何気ない会話をとおして、家族構成から品物の好みにいたるまで、あらゆる情報を熟知したうえで仕入れに臨む。相手の心のうちを会話からつかむのは、お手のものなのである。

      アキンドをしていたころの増子さんは、毎朝4時に起きて泊の港にあった市場で仕入れをし、朝5時過ぎの汽車に乗って商売に出かけていた。山陰本線の泊駅から上井(あげい・現倉吉)駅まで行き、ここの魚市場でさらに荷を足して、軽便鉄道の倉吉線に乗り換える。目的地の西倉吉駅に着くと、駅近くに置かせてもらっているリヤカーに荷を積みかえ、お客さんのもとへとリヤカーを引っぱって歩く。午前中で商売を終え、再び汽車を乗り継いで帰宅。シイラが獲れる夏の時期は、季節限定のこの魚を心待ちにするお客さんのため、午後にもうひと往復することもあった。

      増子さんは、山陰本線のことを「ホンセン」、倉吉線のことを「ケイベン」とよぶ。軽便鉄道にもいろいろあって、倉吉線の場合は、軽便鉄道法を適用させた低規格の国鉄路線。軌間は一般的な1067ミリなので、外見上は山陰本線とさほど変わりはない。それでも、増子さんが語るホンセンの情景とケイベンのそれには、明らかな違いがあった。

      朝一番に乗るホンセンの汽車内は、地元の泊をはじめ、沿線各所から乗り合わせたアキンドでいっぱいだ。車内で持ってきた弁当を急いで食べ、他所からやってきたアキンドから荷を買う。冬場はとくに、兵庫県のほうから県境を越えてやってくるアキンドが多くいて、焼サバやヘシコといった東部特有の品物をわけてもらう。上井駅に着くと、魚市場から迎えに来ているトラックの荷台に仲間と乗り込む。魚市場でさらに仕入れを重ね、ブリキカンの上に、魚箱やミカン箱などを載せて縄で縛る。時間との闘い、仲間との競争――そんな緊迫した空気が、言葉の端々から伝わってくる。

      大きな荷を背負って倉吉線の上灘(うわなだ)駅まで行くと、ここからはケイベンだ。倉吉線は、山陰本線の上井駅を発し、城下町の風情を残す倉吉の中心市街を通り、岡山県境に近い大山山麓の山守駅まで伸びる20キロほどの路線である。この車内でも、特産の練り物を携えやってくる八橋(やばせ)のちくわやと乗り合わせ、テンプラとコロッケを買う。テンプラとは、魚のすり身で作ったいわゆるさつま揚げ。コロッケは、そのテンプラにパン粉をまぶして揚げたもの。作りたてなので温かい。お客さんにも人気だが、買ったその場で自分も食べる。「ぬくいのは、うまいけえな」と聞けば、湯気とともに香ばしさが漂ってくるようだ。「そしたら、うまげだな、って車掌さんがいいなる。座って食ってみなれ、うまいで、って、慣れちゃってな、車掌さんも。ならひとつもらっていくかいな、って来るようになった」

      商売先の西倉吉駅に着く。冬ならまだ日ものぼらない時間だ。ここの駅長は同じ泊の出身で、ストーブに当たっていくよう勧めてくれる。夜明けまでの時間、しばらく暖まらせてもらい、ほどよいころあいになったところで出発する。

      帰りは帰りで、商売から戻る増子さんが到着するまで、出発を待っていてくれることもある。「駅長さーん、って駆けって行ったら、おーい、っていいなる。カンカン負うて行くまでに、駅長さんは汽車の方をセナ(背中)にして、私が下りてくるのを待っとんなる。駅長さんが手をあげな、汽車は発たれんだけえ」

      増子さんの語りには、往復に使っていたケイベンでのできごとがよく登場する。そしていつもそれを、とても楽しそうに話してくれた。仕入れまでの慌しさが一段落し、いよいよお客さんの家を回るまでのひととき、ケイベンの駅や車内でのふれあいが、増子さんにはかけがえのない憩いの時空間だったのだろう。

      増子さんは、倉吉線が廃線となった昭和60(1985)年にアキンドをやめた。国鉄の分割・民営化に向けた動きに加え、自家用車の普及やライフスタイルの変化も著しく、廃線はやむないことではあったが、倉吉線を生活の足としていた人たちの姿も、同時に消えてしまった。

      倉吉線の線路跡は、現在サイクリング道路としてわずかにその面影をとどめるばかりとなった。だが、昔日の早朝、ブリキカンを背に汽車から群れを成して下りてくる迫力や、リヤカーを引いて一軒一軒を訪ねてまわるアキンドさんの声は、町の人たちの心に今なお鮮やかに残る。小さな商売と小さな鉄道の忘れえぬ情景は、つつましくも心豊かな暮らしの記憶として、土地の中に生き続けているのである。

      「小さな鉄道」の記憶──軽便鉄道・森林鉄道・ケーブルカーと人びと

      旅の文化研究所 編

      2020年11月16日

      定価 2,700円+税